まつもと市民芸術館(まつもとしみんげいじゅつかん)は、長野県松本市深志にある音楽ホール・劇場。館長兼芸術監督に俳優・演劇家の串田和美を迎えて2004年に開館した。初代の建物は戦後すぐに建築され長い歴史を持つ。
設計は日本を代表する建築家の一人伊東豊雄。日本では比較的珍しい4層のバルコニー席を備える馬蹄形の主ホールは、田の字型の巨大な4面舞台を備え、幅広い演出に対応している。
日本最大級の音楽イベントサイトウ・キネン・フェスティバル松本の主要会場である。
音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれている。
目次[非表示] |
建物の沿革 [編集]
初代の建物は「第二公民館」として戦後すぐに建築された。この建物は1955年(昭和30年)に焼失した。
二代目の建物は1958年(昭和33年)に着工、翌年竣工した。約1,300の座席を持つホールとして長く利用された。また、市民会館前の広場は「ライラック広場」と呼ばれ、大型の噴水と美しい庭園が整備されていた。しかし、建物の老朽化とともに、他の新しく大型なホールが市内に建設され、主要なコンサートなどは次第に開催されなくなっていった。
三代目の建物は老朽化した二代目を取り壊して、2004年(平成16年)に竣工した。この建物は以前の広場も含めた約9,000平方メートルの敷地に建設され、それまでのものと比べ圧倒的に規模が大きい。建物は地上7階地下2階建てで、内部には約1,800席の主ホール(800~1,400席まで規模を調整できる)、240席の小ホールのほか、主ホールの舞台を利用した約400席の実験劇場、リハーサル室やレストランなども完備している。総事業費は145億円。駐車場は殆どない。
三代目の建築に対する反対 [編集]
三代目の建物は非常に規模が大きく、総工費も145億円(松本市の負担はこの内55%)と高額であった。しかも、松本市には他にも類似したホールが存在し、また、都市の規模からコンサートも頻繁に開かれるものではなかった。このため、三代目の持つ設備は過剰であり、その建設は税金の浪費にすぎないと捉える向きも多かった。また、競争入札の不透明さが問題となり、建設に対して市民の不信感が一層増すことになった。
建設中止の是非を問う住民投票の実施を求める請願が市議会に提出されたり、署名運動にまで発展するなど反対意見が多い中、「松本市の健全財政」を理由とする当時の市長有賀正の強力な推進力によって、規模を縮小するも事なく建築された。なお、有賀は会館竣工直後の市長選挙で敗れ、会館オープンの記念式典に市長として参加する事ができなかった。この落選の原因は、会館の建築を行なった事が主であるとも言われている。