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  1. 2010.07.22 表参道ヒルズー安藤忠雄
  2. 2010.07.22 安藤忠雄ー住吉の長屋
  3. 2010.07.22 Red & Blue Chair - Gerrit T. Rietveld
2010. 7. 22. 20:02

表参道ヒルズー安藤忠雄

概要 [編集]

表参道ヒルズは、2006年2月11日建国記念の日)にオープンした。全長は約250メートルで、地上6階、地下6階。西館、本館と同潤館からなり、地下3階から地上3階は国内外の有名ブランドなどが入居する商業施設であり、4階以上は住居施設となっている。表参道の傾斜にあわせ、床をスロープ状に傾斜させているのが特徴である。本館内部は6層分の吹き抜け構造になっており、そのまわりでは「スパイラルスロープ」と呼ばれる通路がらせん状につながっている。

表参道ヒルズは同潤会青山アパートを取り壊した跡に建設された。同潤会青山アパートは1927年に竣工し、築年数80年を経過していた。再開発は森ビルが中心になり計画を推進した。設計は安藤忠雄である。元々道路に挟まれた細長い敷地であったため、斜線制限により高層建築を造るのは難しい敷地であった。ケヤキ並木の景観と調和させることもあって地上部分を3階と低く抑え、地下3階とあわせて6層分のフロアとしている。

なお、かつて東端にあった青山アパート一棟を新たに再現し、同潤館と名づけ店舗利用している。また、当初は神宮前小学校を施設内に取り込む計画を推進し二案同時進行で一般市民へプロポーザルを行った。その結果小学校を取り込む案に人気が集中したが、官民事業の難しさに加え資金難で現在のプランに落ち着いた。

建築データ [編集]

  • 建築主:神宮前四丁目地区市街地再開発組合
  • 設計:安藤忠雄建築研究所、森ビル設計共同企業体
  • 施工:株式会社大林組、株式会社関電工高砂熱学工業株式会社、三建設備工業株式会社
  • 店舗数:全105店(2006年12月現在)
  • 住居数:全38戸「ゼルコバテラス」(略:ケヤキの住居)。
  • 駐車場:車182台、バイク35台収容
  • フロア数:全12フロア。(住居3フロア、商業施設6フロア、駐車場3フロア。)
  • 面積:全施設延床面積33,916m2、店舗延床面積9,959m2

昭和初期の文化的都市生活のシンボルだった旧同潤会青山アパート。70年以上も表参道の顔であり続けた場所を再開発することは、森ビルにとっても決して容易ではない試みでした。森ビルと設計を担当した建築家の安藤忠雄氏が街の人々と一緒になって発想したことは、表参道のランドスケープへの敬意。建物の高さを表参道のケヤキ並木と同じ程度に抑え、屋上も積極的に緑化。地下3階から地上3階までの6層分の吹抜け空間には、表参道の街並みと同じ傾斜のスロープを持つ「第2の表参道」を創出し、商業施設をレイアウトしました。世界中から最新のファッションやライフスタイルが集い、様々な情報や刺激を発信する感度の高い場所として。歴史ある街の記憶を継承しながら、常に新しい時代の息吹を送りこみ続ける表参道ヒルズです。




2010. 7. 22. 19:24

安藤忠雄ー住吉の長屋

概要
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1976年2月竣工、大阪市住吉区の三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅。外に面しては一切を設けず、採光通風は中庭からだけに頼っている。玄関から内部に入ると居間があり、台所や2階に行くには中庭を通らねばならない。かねてより機能性や連続性に絶対的価値をおくことに疑問を持っていたという安藤の渾身の表現であり、関西に根付いた長屋の住み方を現代風にアレンジしたものとして高く評価される一方で、「使いにくい」、「雨の日に傘を差さないとトイレに行けない」などの当然起こりうるべき非難もあった[要出典]

施工は、まこと建設株式会社(大阪市西区)によるもの。

(一連の非難については、UT OCW Podcasts -安藤忠雄「建築をつくる、都市をつくる」その2- において安藤自身が述べていることが確認できる。また、現在も施主との信頼関係があるらしく、冬の寒さを訴える施主に対して「アスレチックに行け。」と言っているとのこと。)

設計思想 [編集]

関西地方京都大阪)の長屋住宅は、中庭通り庭後庭を備えることを理想とする住宅様式である。しかし敷地が充分でない場合など、良好でない住環境となることも少なくない。 安藤自身がそうした住環境に長年住み続けて、生活にとって重要である通風、採光、日照などの確保を知悉していたことから、大胆なデザインによる革新的な住宅が着想された。建て替えの依頼があった当初から、安藤は真ん中に中庭を作ることを決意していた[要出典]。敷地は間口2間、奥行き7間で14坪しかなく、施主の当初の意向など到底反映されないと考えた安藤は、長屋をすっぱり切り取ってコンクリートの箱を入れ、抽象的な芸術に近いような物にしたいと考えた。 安藤曰く「単純ではあるけれども実際には単純ではない、物理的にはどれほど小さな空間であっても、その小宇宙のなかにかけがえのない自然があり豊かさがあるような住宅をつくりたかったのです。」と述べている[1]。また、全体の約三分の一を中庭にすることで、建ぺい率60%でも敷地いっぱいに建てられる合理性もあると考えた。西洋的な環境の中に日本的感性を持ち込むため、日本建築で採用されてきた寸法を採用し、7尺5寸(約2.25m)という天井の高さを決めたとされる。内装材や家具などは天然素材を使用、床は石材、フローリング・家具は木材である。

批判的意見に対しては、「このあたりの小さな町屋の空間の記憶、生活の歴史や伝統、といった人間が生活する上で切ることのできない要素をかつての建物の形や材料を用いることで直接伝承するのでなく、リチャード・セラケリーの絵ではないが、徹底的に抽象化していった幾何学的な四角い箱のなかに、人々が営々と住み続けていた町屋という伝統的な住まいや、自然に対する考え方、そういったものをすべて一気に封じ込められた」と述べている[要出典]

評価 [編集]

コンクリート打ちっ放しの発想を住宅に持ち込み,その後の多くの建築家に与えたインパクトは決して色褪せておらず、未だに多くの見学希望者が押し寄せている[要出典]が、個人の住宅であり内部の見学はできない。2008年に東京で開かれた安藤の建築展「挑戦 -原点から-」では原寸大の模型が展示された。

2010. 7. 22. 19:18

Red & Blue Chair - Gerrit T. Rietveld


The Red Blue Chair was a chair designed in 1917 by Gerrit Rietveld. It represents one of the first explorations by the De Stijl art movement in three dimensions. The original chair was painted in the familiar De Stijl palette of primary colours - that is, black, grey, and white. However, it was later changed to resemble the paintings of Piet Mondrian when Rietveld came into contact with this artist's work in 1918. Rietveld joined the De Stijl movement in 1919. The chair currently resides at the High Museum of Art, Atlanta.[1] It features several Rietveld joints.

The Red and Blue Chair was reported to be on loan to the Delft University of Technology Faculty of Architecture as part of an exhibition. On May 13, 2008, a fire destroyed the entire building, but the Red and Blue Chair was saved by firefighters.[2]


レッド&プルーチェアの名で世界的に知られているこの椅子は、リートフェルトのデザインを代表する傑作です。自ら「美しく空間的なデザインが直線的な材料と機械によって創りだせるという証明」と語るように、この椅子は、幾何学的メカニズムでデザインされており構造上は単純で原理的です。しかし、そこから生みだされた造形に見られる、一つ一つのパーツの交差による独特の空間的ハーモニーと美しいダイナミズムは、実に多彩で複雑な表情をこの椅子に与えているといえます。色彩はモンドリアンのネオプラスチック絵画のスタイルを受け継いでいます。