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  2. 2010.07.24 伊藤豊雄ーまつもと市民芸術館
  3. 2010.07.22 The Holy Mountain - Alejandro Jodorowsky (1973)
2010. 7. 25. 20:59

Herzog & de Meuron-北京国家体育場


設計者は、スイスの建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンで、その独特の形状から、愛称は「鳥の巣(鸟巢・Bird's Nest)」である。大きさは330m×220mで高さは69.2m。総工費は35億

最大収容予定人数は91,000人で、オリンピック終了後は施設の改修が行われ、座席数は8万人にまで減らされた。

2002年に、中国政府が開催した国際建築設計競技で、ヘルツォーク&ド・ムーロンの案が優勝した。この案の構造設計は、アラップ社が、芸術顧問として中国の現代美術家・艾未未(アイ・ウェイウェイ)がデザインに協力している。

2003年12月24日に鍬入れ式を行い、2004年3月に本格的に着工した。途中、2004年5月に同様の構造のシャルル・ド・ゴール国際空港第2ターミナルビルの屋根崩落事故が起こったこと、及び予算の関係などから再設計が行われたものの、2008年3月に完成した。



ヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron、略称HdM)は、スイスバーゼル出身のジャック・ヘルツォーク(Jacques Herzog、1950年4月19日 - )とピエール・ド・ムーロン(Pierre de Meuron、1950年5月8日 - )の2人による建築家ユニット。この2人は、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zurich)で共に建築を学び、卒業後の1978年から共同の建築設計事務所を開いて共に働いている。

2001年にはプリツカー賞を、2007年には世界文化賞建築部門を受賞。

地元バーゼル中心に活動していた1980年代から1990年代まで、彼らの初期の作品はモダニズム還元主義的作品を思わせる、ミニマル・アートの芸術家ドナルド・ジャッド彫刻作品のような簡素な造形であった。しかし建物表面を無数ので覆ったり、金属の表面に切れ目を入れてねじるなど見え方を工夫したり、ガラス面にさまざまな時代の写真絵画をプリントしたりと、建築の表層の部分での試行を重ねて日々刻々異なる表情を建築や周辺一帯に与え、注目を浴びた。最も大きな脚光を浴びたプロジェクトはロンドンの巨大な発電所建物を美術館に改装するテート・モダン計画で、以降受賞や注文が相次いでいる。

2000年代に入ってからの東京・プラダ青山店やバルセロナ・フォーラム、ミュンヘンのサッカー場アリアンツ・アレナ、そして2008年完成の北京国家体育場北京オリンピックメインスタジアム)では初期のミニマルな作風から様相が一変している。表層に対するこだわりや物質性の優先は変わっていないが、簡素な箱型の造形から、これまで中に隠れていた建物を支えるなどの構造が複雑化し外部に現れ、表層をプリズムのように一様に覆ってしまうようになった。プラダ青山店では建物表面をガラスが覆い蜜蜂の巣のような内部構造が透けて見え、北京オリンピックスタジアムでは籐を編んだような複雑な柱が建物を一面に覆っているが、表層の印象によって巨大なボリュームによる圧迫感はやわらげられている。

彼らはしばしば戦後ドイツの芸術家、ヨゼフ・ボイスの作品や芸術論から永続的な影響を受けていると述べている。また建築のたびごとに異なった芸術家と共同作業(コラボレーション)を行ってきた。

彼らの成功の秘訣は、普通の材料を用いながら、それらの材料の異質感やそれらの材料から感じたことのない印象を見る者から引き出した腕前によるところが大きい。

2010. 7. 24. 14:33

伊藤豊雄ーまつもと市民芸術館



まつもと市民芸術館(まつもとしみんげいじゅつかん)は、長野県松本市深志にある音楽ホール劇場。館長兼芸術監督に俳優演劇家串田和美を迎えて2004年に開館した。初代の建物は戦後すぐに建築され長い歴史を持つ。

設計は日本を代表する建築家の一人伊東豊雄。日本では比較的珍しい4層のバルコニー席を備える馬蹄形の主ホールは、田の字型の巨大な4面舞台を備え、幅広い演出に対応している。

日本最大級の音楽イベントサイトウ・キネン・フェスティバル松本の主要会場である。

音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれている。

目次

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建物の沿革 [編集]

左斜め前方より

初代の建物は「第二公民館」として戦後すぐに建築された。この建物は1955年(昭和30年)に焼失した。

二代目の建物は1958年(昭和33年)に着工、翌年竣工した。約1,300の座席を持つホールとして長く利用された。また、市民会館前の広場は「ライラック広場」と呼ばれ、大型の噴水と美しい庭園が整備されていた。しかし、建物の老朽化とともに、他の新しく大型なホールが市内に建設され、主要なコンサートなどは次第に開催されなくなっていった。

三代目の建物は老朽化した二代目を取り壊して、2004年(平成16年)に竣工した。この建物は以前の広場も含めた約9,000平方メートルの敷地に建設され、それまでのものと比べ圧倒的に規模が大きい。建物は地上7階地下2階建てで、内部には約1,800席の主ホール(800~1,400席まで規模を調整できる)、240席の小ホールのほか、主ホールの舞台を利用した約400席の実験劇場、リハーサル室やレストランなども完備している。総事業費は145億円。駐車場は殆どない。

三代目の建築に対する反対 [編集]

三代目の建物は非常に規模が大きく、総工費も145億円(松本市の負担はこの内55%)と高額であった。しかも、松本市には他にも類似したホールが存在し、また、都市の規模からコンサートも頻繁に開かれるものではなかった。このため、三代目の持つ設備は過剰であり、その建設は税金の浪費にすぎないと捉える向きも多かった。また、競争入札の不透明さが問題となり、建設に対して市民の不信感が一層増すことになった。

建設中止の是非を問う住民投票の実施を求める請願が市議会に提出されたり、署名運動にまで発展するなど反対意見が多い中、「松本市の健全財政」を理由とする当時の市長有賀正の強力な推進力によって、規模を縮小するも事なく建築された。なお、有賀は会館竣工直後の市長選挙で敗れ、会館オープンの記念式典に市長として参加する事ができなかった。この落選の原因は、会館の建築を行なった事が主であるとも言われている。

2010. 7. 22. 20:10

The Holy Mountain - Alejandro Jodorowsky (1973)